大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山家庭裁判所 昭和62年(少ハ)1号 決定 1987年8月25日

少年 S・M(昭41.12.7生)

主文

本人を昭和62年11月30日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

1  本人は、昭和61年9月1日当裁判所で中等少年院送致の決定を受け、同月4日四国少年院に収容され、同年11月17日少年院法11条1項但書による収容継続決定を受けたものであるが、昭和62年8月31日をもつて同決定による収容期間が満了となる。

2  本人は、幼少時から不幸な環境で育つたこともあつて、資質、能力の偏りと健全な社会生活体験の不足があり、院内の集団生活の中で、非常識な言動をしてひんしゆくを買い、他院生とトラブルを繰り返したが、個別指導等の指導を続けた結果、ようやく改善のきざしがみられるようになつた。しかし、少年の資質、能力等からして、退院後においても、相当期間、専門家による指導が必要である。

3  一方、本人の受入れ環境は劣悪であり、○○更生保護会を帰住先とする手続を進めているが、更生保護会への帰住については原則として仮退院が前提となつている。

4  そこで、昭和62年11月30日まで3ヶ月間の収容継続を求める。

(当裁判所の判断)

1  本人は、昭和61年9月1日当裁判所で窃盗事件により中等少年院送致の決定を受け、同月4日四国少年院に収容され、同年11月17日少年院法11条1項但書による収容継続決定を受けたもので、昭和62年8月31日をもつて収容期間が満了となる。

2  本人の母はアルコール依存症で入退院を繰り返し、父は、無気力、怠惰で指導力を欠いており、幼時から養護施設に預けられ、帰宅後も、本人の伯母を中心としほとんど全負が生活保護に依存する劣悪な保護環境の中で、罵倒され虐待されて成長し、健全な生活習慣も身につかず、規範意識に乏しく、自制力を欠き、自棄的行動に出易いことが中等少年院送致決定においても指摘され、かつ、本人が退院後に従前の保護環境に帰れば非行性を再発させることとなる可能性が大きいところから、更生保護会等への帰住調整を図るよう処遇勧告がなされた。

3  本人は、院内生活において、資質面の偏りから対人接触を円滑に行うことができず、考えのない不用意な発言で他の院生とトラブルを繰り返し、非常識な行動(浴場で放尿、食事中残飯に唾を吐く等)をして周囲のひんしゆくを買うことも多く、孤立傾向に陥つたため、個別面接指導、夜間単独処遇、院長訓戒、謹慎等の指導がなされてきたところ、本人は、昭和62年2月16日処遇段階1級下に進級する前ころからようやく改善のきざしを見せるようになり、同年5月16日1級上に進級したが、なおいまだ健全な社会生活習慣を十分習得したとはいえず、その資質、能力をも考慮すれば、今後一般社会内で正常に独立自立生活を営むためにはなお適切な指導援助を必要とする状況にある。

4  一方、上記の本人の保護環境は変化なく劣悪であり、ここに帰住させれば再非行に走る危険性がより大であるところから、少年院において、○○更生保護会へ帰住させるべく松山保護観察所との間で調整がなされており、本収容継続申請が認められれば、昭和62年9月4日ころ本人を仮退院させ、同保護会へ帰住させたうえ保護観察による指導を加えつつ就職させて自立更生させることを予定しており、また本人も、従前の保護環境のもとに帰ることを拒否し、更生保護会に帰住して独立自立したいと強く希望している。

5  上記のところを前提とし、更生保護会へ帰住させるためには少年院仮退院の段階になければならない(犯罪者予防更生法33条1項2号、40条1項、更生緊急保護法6条2項)ことを考慮すれば、本人に対し収容を継続することが相当であり、その期間は、諸般の事情を考慮し3か月とするのが相当である。

6  よつて、少年院法11条4項、少年審判規則55条により、主文のとおり決定する。

(裁判官 仲渡衛)

〔参考〕 収容継続申請書

昭和62年6月23日

松山家庭裁判所長

裁判官 ○○殿

四国少年院長 ○○

収容継続の申請について

氏名 S・M

生年月日 昭和41年12月7日

上記の者は、昭和61年9月1日中等少年院送致の決定を受け、同月4日当院に入院、昭和61年12月6日満齢に達したため、少年院法第11条第1項ただし書による収容継続の措置を講じ指導を行って来ましたが、現在までの本人の成績の経過を見ると、些細なことで心情が不安定となり、規範意識の内面化の不十分さから対人面での小さなトラブルが散見されるなど、その非行性はまだ十分に改善されているとはいえない状況にあり、しかも本人の保護環境は極めて悪く、これらを勘案した場合審判満期で退院させるよりはむしろ仮退院として、ある程度の保護観察期間が必要であると思料されますので、少年院法第11条第2項に基づき下記のとおり昭和62年11月30日まで3か月の収容継続を申請します。

1 決定 昭和61年9月1日中等少年院送致(G3)

2 事件名 昭和61年少第1338、1369号窃盗保護事件

3 処遇勧告要旨 少年の保護環境劣悪のため、更生保護会等への帰住調整を図ること

4 処遇経過

昭和61年9月 4日 入院、二級の下

9月18日 考査終了、予科編入、第3学寮

10月 1日 夜間単独処遇(内省力強化のため)

10月14日 院長訓戒(落書き、自殺類似行為)

10月14日 第2学寮転寮(G2級処遇に準じた処遇を図るため)

11月15日 二級上進級(予科期間27日延長)

予科終了、本科編入(園芸科)

11月17日 少年院法第11条第1項ただし書による収容継続告知

12月19日 謹慎3日(不正製作、規律違反)

昭和62年2月16日 一級下進級

3月 6日 仮退院準備調査

5月16日一級の上進級、農業科へ転科

5 収容継続を必要とする理由

少年は幼少時から、父が脊髄炎、肝臓病等の病弱に加えて怠惰で指導力もなく、また母もアルコール依存症で入退院を繰り返すといった状態であったため、養護施設の世話になったり、あるいは母方の生活保護を受けている伯母に育てられるなど、極めて不幸な環境で成育している。

そのため不適応、不充足感をますます深め反社会的傾向も蓄積されるという悪循環を繰り返している。

そこで当院では少年の資質、環境上の諸要因を踏まえ、自ら健全な生き方を見い出させ自立への方向づけを行うことを主眼として指導してきた。

少年の院内での生活ぶりは、伯母のもとから離れて生活ができることに生き生きとした表情をみせ、「もうあんな伯母のところに帰りたくない」また、「先生、僕の身体を見てください。伯母から受けた灸熱湯をかけられた傷痕です…」と言い、伯母から言われることも「クズ」「ノロ」「バカ」等とののしられてきたと嘆く。

そんな家庭で育った少年の生活観の偏りが集団生活の中で対人接触に大きな障害となって他生とのトラブルが繰り返された。こういった点をよく反省させ、少しでも自己を客観視できるようにするため、面接、夜間単独処遇等による個別指導を強化した。

また、能力的に普通域のG3集団に編入したり、ややレベルの低いG2集団へ編入替えをしてみるなど、いろいろな手段を講じ、対人関係の指導及び調整を図ってきたが、従来の低文化生活から来る悪癖は改まらず、入浴時の放尿、喫食時に唾を残飯の中に吐き込む等非常識な点が散見され、他生からひんしゅくを買うことが再三あり、孤立化の傾向が強まった。

一級生になってからも、他少年(能力は低いが成績良好で特別進級の候補となった者)に対して「おまえは頭が悪いやんのー、ばかか…」と嘲笑して相手を激怒させ、少年の進級をねたみ、足をひっぱるという卑劣ないやがらせを平然と行うなど対人面での不調が見受けられた。

このようなことから、面接指導や各種の集会指導を活用しその改善を図ってきた結果、現時点では、集団相互作用の中で徐々にではあるが、改善のきざしがみられるようになった。

一方、少年の受け入れ態勢についても貴所の処遇勧告のとおり環境劣悪ということで、○○更生保護会を帰住地として手続きを進め同保護会への受け入れが決定している。

本少年の今後の成績経過については、過去の生活状況等から見た場合、若干の不安は残るものの本人の自覚も深まっており、現在の成績で推移していくものと推測される。また保護会への帰住については、原則として仮退院の形式が前提条件となっており加えて、本人の資質、能力、更には健全な社会生活体験の不足などから一定の期間、保護観察官、保護司等による指導援助が必要な少年である。

以上のようなことから、いたずらに収容期間を長期化するということではなく、昭和62年11月30日までの3か月間の収容継続を行い、満期に近い時点で仮退院(仮退院希望予定日、昭和62年9月4日)させ、残余期間を保護観察期間にあてることにより、社会内処遇への移行を円滑にするとともに、余後の本人の更生の確立を期待したい。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例